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インドのホーリー祭と雅歌 [聖書研究]

ホーリー(Holi)とは、インドネパールヒンドゥー教 の春祭り。春の訪れを祝い、誰彼無く色粉を塗りあったり色水を掛け合ったりして祝う。

ホーリー祭はもともと豊作祈願の祭りであったが、その後クリシュナ 伝説などの各地の悪魔払いの伝説などが混ざって、現在みられる形になった。ホーリー祭の特徴である色粉や色水を掛け合う由来は、カシミール 地方の伝承でこの日に人家に押し入ってくる悪鬼ビシャーチャを追い払うため泥や汚物を投げつけたのが始まりとされる[1] 。そのため黄色は尿、赤は血、緑は田畑を象徴すると言われている。色水は色粉を水に混ぜて作る。

このホーリー祭においては、性的色彩が濃い歌を祭りの参加者が歌う。それは、ホーリー祭の元来の性格である豊穣儀礼と関係していると考えられる

ところで、聖書の雅歌も、性的色彩を帯びた歌が中心である。聖書の雅歌も、元来は、豊穣儀礼の一部であったのであろう。

タグ:聖書研究

マハーバーラタと創世記の変容 [聖書研究]

古代インドの叙事詩「マハーバーラタ」の研究者である前川輝光 亜細亜大学教授は、次のように述べている。(マハーバーラタの世界、5章より引用。一部変更)
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カースト制度の序列が固定化し、バラモンが最上位に君臨するようになる前の時代には、宗教的特権階級たるバラモンと、世俗的特権階級たるクシャトリヤとは熾烈な対抗関係にあった。仏教文献やジャイナ教文献には、それを反映してバラモンよりもクシャトリヤを上位に位置づけた記述が散見される。
「マハーバーラタ」の挿話の中にも、両者の対抗関係を如実に示すものが少なからず見られる。(ヴィシュバーミトラ物語やパラシュラーマ物語など)
「マハーバーラタ」は最初、クシャトリヤ(戦士貴族階級)の文化や理想像を伝えるべく語り始められたが、後にバラモンの手で大幅な修正追加が行われた。紀元前400年~紀元後400年の成立過程の間に、「マハーバーラタ」の性格は大きく変容してしまったのである。(しかし、それにも拘わらず、かつてのバラモン対クシャトリヤの対抗関係やクシャトリヤ優位を反映した名残りは随所に窺われる)
「マハーバーラタ」の登場人物の中で、このようなバラモン化の使命を体現しているのがクリシュナである。多くの研究者が指摘しているように、クリシュナの目的は、全クシャトリヤを滅亡させることであった。
クリシュナは、バラモンの至上権を認めない暴虐な現クシャトリヤ世代を一掃し、クシャトリヤを根絶やしにするために、ヴィシュヌ神の8番目の化身として登場したのである。(バラモンを敬う有徳なパーンダヴァ5王子だけは助けられた) つまり、クリシュナは、バラモンの権威を拡大するために行動したのである。クリシュナはバラモンの世界観に沿った役割を与えられたのである。
引用終わり
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さて、元々、クシャトリヤ(戦士貴族階級)の文化や理想像を伝えるための物語が、バラモン(祭司・神官階級)によって修正加筆され、クシャトリヤ(戦士貴族階級)は、パーンダヴァ5王子を除いて、クリシュナの無慈悲な奸計によって絶滅されて行く。
このような、クシャトリヤ(戦士貴族階級=世俗勢力)中心史観から、バラモン(祭司・神官階級=宗教勢力)中心史観への歴史的変容は、旧約聖書の創世記についても当て嵌まる。
3:22
主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の木からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。
この記述には、明らかに、神と人との対立関係(神の人間に対する冷酷さ)が表現されている。創世記の最初の部分は、このような、神と人との対立関係(神の人間に対する冷酷さ)が主題となって成立している。(=世俗的な考え方
しかし、後代になって祭司神官勢力(サドカイ派・宗教信仰勢力)が拡大すると、それを反映して創世記の「神と人との対立関係」という主題は巧妙に隠されてしまい(あやふやにされてしまい)、宗教信仰勢力にとって都合の良い箇所だけが強調されるようになったのであろう。(旧約全体が宗教勢力に乗っ取られた
しかし、それでも、「ヤコブの神との闘い」のエピソードは、削除されずに残っている。それは、ちょうど、「マハーバーラタ」で、バラモン階級編纂者が、クシャトリヤの美しい?文化や価値観を完全に払拭できなかったことと同じである。やはり、オリジナルな主題は、いくら隠そうとしても、完全に隠し通せるものではないのだろう。
なお、世俗的勢力と宗教的勢力の対立関係は、インドラとトヴァシュトリ、 エンリルとエンキ、の神話にも反映されている。

タグ:聖書

ユダヤ民族 [聖書研究]

2000年前に滅亡した祖国を、2000年後に再建した民族が他にいるでしょうか?

これは、奇跡的なことです。

タグ:ユダヤ

ユダヤ教の意義(=呪術の否定の意義) [聖書研究]

ユダヤ教の意義(何を目的としているのか?)について考える。
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ユダヤ教は、よく言われる様に、<律法>の宗教である。
律法>の代表例としては、次のようなものがある。
① 偶像を崇拝しては、ならない。
② 周辺諸国の(多神教的な)宗教儀礼を真似しては、ならない。(たとえば、タムムーズアドニスのような死んで甦る神を崇拝すること。モロク神子供を犠牲として奉献すること。
③ 占い口寄せ(死者の霊を招いて語らせる事)の禁止。(違反者は死刑
④ 7日間のうち、1日を安息日として、何の仕事も、してはいけない。
⑤ 生肉や豚肉や貝などを食べてはならない。
⑥ 契約を守る。(当然、神との契約も
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ユダヤ教の意義(何を目的としているのか?)について考えることは、即ち、上記のような<律法>の意義(何を目的としているのか?)を考えることである。
さて、②・③ の<律法>(戒律)に注目してみよう。
イスラエル国の周辺諸国は、全て多神教であり、バール神やマルドック神やオシリス神をはじめとして、多数の神々が崇拝されていた。そして、それら周辺諸国では、人間を犠牲として神に奉献する儀式が実行されていた。
なぜ、そんな残酷なことをしたのかと言えば、人間を犠牲として神に奉献することによって、農作物が豊作になったり、疫病が治まったり、天災が回避できると考えられたからである。
(これらの儀式は、いわゆる呪術儀礼と言われるものであり、カインによるアベル殺害は、農作物を豊作にするために行われた人間犠牲儀礼なのであった)
科学的な合理思考をする現代人の我々は、この様な呪術儀礼が、何の効力も持たないことを知っている。
そして、今から数千年前の古代人も、これらの呪術儀礼の効力については、薄々疑問を感じていたに違いない。なぜなら、人間犠牲を実行しても、農作物が豊作にならなかったり、疫病が治まらなかったり、天災が回避できない場合の方が多かったはずだからである。
しかし、科学が発達する以前の社会に暮らしていた古代人は、その効果が疑問視される人間犠牲儀礼を、社会制度として制定し、永い期間に亘り、実行していたのであった。
なぜ、古代人は、その効果が疑問視される人間犠牲儀礼を、永い期間に亘り、実行しなければならなかったのだろうか?
その答えは、人間犠牲の結果を考えれば、すぐに解るであろう。即ち、人間犠牲を行えば、共同体の人口が減る。3人人間犠牲を行えば、共同体の人口が3人減る。そうすると、3人分の食料が助かる
人間犠牲は、共同体に危機が到来して、共同体の存続が危ぶまれる時に行われる場合が多い。天候不順による飢饉・疫病の流行・天災、などの危機を回避するために、共同体は人間犠牲を実行したのである。
つまり、共同体が人間犠牲を実行すれば、食料負担が軽減され、共同体全体の延命を図ることが可能になる。
だから、人間犠牲儀礼は、共同体の食料負担を軽減し、共同体全体延命を図るために実行されていたのである。
★ さて、ユダヤ教の<律法>(戒律)は、以上の様な「人間犠牲呪術」を禁止したのである。そして、「人間犠牲呪術」の禁止は、次のような意味を持つ。
共同体が「人間犠牲呪術を実行することは、共同体人間)が、共同体を危機に陥れる色々な災難(天候不順による飢饉・疫病の流行・天災)に屈服したことになる。
即ち、「人間犠牲呪術を実行して、食料負担を軽減し、共同体全体延命を図ることは、共同体人間)が、自然の力に負けたことを意味する。
だから、ユダヤ教の<律法>が、「人間犠牲呪術」を禁止したことは、共同体人間)が、人間犠牲による食料負担の軽減に頼らず、自然の色々な災難(天候不順による飢饉・疫病の流行・天災など)を乗り越えようとしていることを意味する。
共同体人間)は、呪術人間犠牲に頼らず、自然の力に打ち克たねばならない」
(=知力/科学の力で、災難を克服すること
ユダヤ教の<律法>は、そういう主張をしているのだ。(④⑤⑥の律法は、この主張の敷衍である
そして、この主張は、 イスラエルישראל(自然)と闘う者 という言葉と同等の意味を持つ。「(自然)と闘う」と、「人間犠牲呪術禁止」は、等価なのである。
しかし、「人間犠牲呪術」を禁止すると、強制的に人口を減少させること(人間の間引き)が不可能となる。ところが、自然の力(=災難)は、容赦なく人間共同体に襲いかかる。
そして、共同体の危機が最高潮に達すると、人間共同体は、否応無しに、共同体全体延命を図るために、強制的な人口減少策(人間犠牲を採用せざるを得なくなる。
それこそが、「ユダヤ人虐殺」(ホロコースト)なのである。
ユダヤ人は、<人間犠牲呪術強制的な人口減少策人間の間引き>を禁止したが故に、逆に、自らが、「人間犠牲」の対象になってしまったのだ。(「人間犠牲」の対象は、ユダヤ人だけではない
★ 尚、ユダヤ教自身の内にも、呪術的な不合理な儀礼が存在する.
     (レビ記における、祭司が行う燔祭や罪祭
このことは、(原始ユダヤ教自身も不合理な呪術から完全に解放されていなかったことを意味する。
しかし、時代が降ると、パリサイ派律法主義者)が、ユダヤ教内の実権を握り、祭司集団であるサドカイ派は消滅し、祭司的(呪術的)儀礼は、ほぼ完全に消滅したと見做せる。
やはり、ユダヤ人は特別な民族である。我々は、ユダヤ人により多くの恩恵を受けている。と同時に、ユダヤ人により、経済的搾取を受けている。

アプカルル(魔術的賢者)の重要性 [聖書研究]

以下は、「メソポタミアからの知的伝承」佐々木光俊著)の記述の要約。+私の考え。


「アダパ物語」の主人公アダパは、エア(エンキ)と深い関係を持ち、エア(エンキ)の息子と呼ばれることもある。

アダパ(adapa)という名前は、adapu(賢い、という形容詞)から派生していると考えられ、固有名詞でない可能性がある。

アダパ(adapa)は、アプカルル(apkallu=半神的賢者・魔術師)の筆頭であり、オアンネス(=Uan)と同一視できる。

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魚のアプカルル(英文献ではFish-Apkallu)★ By WIKI
メソポタミア の伝説の生き物。発掘された彫像によると、頭から背中にかけて魚をかぶったような姿をしている(身体の前部が人間、後部が魚、という姿)。
神話 のなかでは、アプカルルは古の賢者であり、人々に知恵を授けたとされている。彫像は守護精霊として7体セットで用いられた。
アプカルルは、ヘレニズム 時代のバビロン神官ベロッソス が著した『バビロニア誌 』にオアンネス(Oannes)として現れる。オアンネスはペルシア湾 から上陸してきて、ごく短期間に人々に文明 を授けたといわれている。
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オアンネス(=Uan)は、「ビート・メ―セリ」という儀礼文書の中では、「天と地のプランを確立したアプカルル(apkallu)の筆頭として現れている。

エア(エンキ)神とマルドック神は、よく「神々の中のアプカルル」と表現される。

大洪水以前には、7名のアプカルルがいた。

① UーAnna天と地のプランを確立した

② UーAnne-dugga 「広い理解力を与えられた

③ Enmedugga 「良き運命が与えられた

④ Enmegalamma 「家で生まれた

⑤ Enmebulugga 草原で育った

⑥ An-Enlida 「エリドゥのエクソシスト除霊師)」

⑦ Utuabzu 「天に昇った

6番目のアプカルルである、An-Enlida 「エリドゥのエクソシスト除霊師)」に、アプカルルの本質的役割が顕れている。

即ち、アプカルルとは、除霊師・魔術師・呪術師としての賢者なのであった。 

アプカルル(apkallu=半神的賢者・魔術師)の筆頭であり、オアンネス(=Uan)と同一視できるアダパ(adapa)は、南風の翼をへし折るほどの呪力を持っていた。

この呪力は、エア(エンキ)神と共通する要素であり、南風の翼をへし折るとは、自然の秩序を破壊する程の創造的力を発揮することである。

だから、創造的力を代表するエア(エンキ)神と、自然の秩序力を代表するアヌ(エンリル)神は、対立する場合がある。

古代バビロニアでは、7名のアプカルルは、悪霊を除霊する力を持っていると信じられており、黄金の粉銀の粉を散布した粘土により、7体の魚型apkalluと、体の鳥型apkallu小像を造り、それを特定の場所に埋めたり、ベッドの脚に立てたりした。そうすることで、害悪を及ぼす悪霊を排除できると考えられたのである。

アッシリア王の周辺には、王個人や領土に生じる様々な変異を監視して、それに対処する専門的集団(魔術・呪術的賢者)がいた。バールー(肝臓占い師)・カルー(慰撫神官・歌手)・アーシプ(エクソシスト除霊師)・アスー(薬剤師)である。

これらの4つの専門的集団のうち、カルー(慰撫神官・おそらく去勢歌手?)・アーシプ(エクソシスト除霊師)・アスー(薬剤師)は、アプカルル(apkallu)の系統に連なる魔術・呪術的賢者と考えることができる。

アーシプ(エクソシスト除霊師)については、「エクソシスト便覧」と呼ばれる新アッシリア時代の文書が参考になる。この「エクソシスト便覧」には、アーシプ(エクソシスト除霊師)の仕事について、100近い文書目録が記載されている。

この「エクソシスト便覧」の中のSA・GIGAというタイトルの文書は、次のような内容を持つ。

病気の患者の元へ向かうアーシプが、途中で出会う動物により、その患者が快方に向かうか、反対に悪化するのかを占うことが出来る。たとえば、白い豚・黒い豚・白い牡牛・黒い牡牛などにより、患者の未来を予想する。

この様に、アプカルル(apkallu)の系統に連なる魔術・呪術的賢者であるアーシプの仕事は、呪術的な不合理なものであった。

ところで、1962年にLambertにより公表されたテキストには、古代メソポタミアの神話文学作品と、その著作者が、対応して書かれている。

その著作者は、ある文書の場合は、知恵の神エアに帰され、ある文書の場合は、アダパに帰されている。

そして、「エタナ物語」と「ギルガメシュ叙事詩」の著作者は、アプカルル(apkallu)に帰されている。と同時に、その著作者であるアプカルル(apkallu)は、「エクソシストmash-mash)」とされている。

以上の事柄から類推すれば、他のメソポタミアの神話文学作品(たとえばエヌマ・エリシュなど)も、・アーシプ(エクソシスト除霊師呪術師)的、アプカルル的文学作品として、理解されるべきであろう。

つまり、古代メソポタミアの神話文学作品は、まず第一に、エクソシスト的呪術魔術的意義目的)を持っていたのである。

 

ヤコブの組打ちの意味 [聖書研究]


その夜、ヤコブはヤボク川の渡しを渡ろうとしました。ヤボク川はギレアデ山地から曲がりくねって、死海から約40キロ北の地点でヨルダン川と合流している川です。ヤコブはそのヤボク川を女子供を渡らせ終えて、さて自分も渡ろうとしたその時、いきなり人影が現れてヤコブに組み付いて来たのです。その人はとても強い人でしたがヤコブも負けてはいませんでした。一晩中二人は組みあい闘いました。夜明けが近づき、その人はヤコブに勝てないとみるとヤコブの関節に触り、ヤコブの股の関節をはずしました。それでもヤコブは彼を放しません。
 「もう夜が明けるから、わたしを帰してくれ」
 「いいえ、わたしを祝福してくださらないうちは放しません」
その人は命じました、
 「神と争って勝ったのだから、これからはヤコブではなく、イスラエルと名を改めなさい」

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上の絵画では、天使を模して描いてある人物は、創世記32章の記述から解釈すれば、明らかに神そのもの>に違いありません。

だから、<イスラエル>という言葉の意味は、<神と闘う者>となります。
(神 対 人間の闘い)  (ヘブライ語の文法にも適う)

私の主張によると、旧約聖書の根本思想は、この「イスラエル=神と闘う者」であります。

人間が、「神と闘う」とは、どういう事なのか?

この点に、人類の歴史の全てが凝縮されているのです。

人間は、「神と闘って、(神が炎の剣で守る)生命の木の実を掴まなければならない

旧約聖書には、そういう普遍的な意味が含蓄されています。

しかし、ユダヤ教・キリスト教信仰者は、誤った解釈により、この最重要思想を台無しにしてしまいました。

ヤコブ(イスラエル)は、この闘いで負ければ、命を失わなければならないのです。

神 対 人間の闘いとは、命を懸けた闘いなのです。

そして、あなた自身の闘い、でもあるのです。


シュメール・ギリシャ神話による聖書の考察 [聖書研究]

★ シュメール・ギリシャ神話による聖書の考察・理解 ★

過去数百年、オリエント地域では、膨大な量の考古学的遺物が発掘されてきた。

それらの中でも、シュメール・アッカド文明に関連する、粘土板に記された文献は、非常に重要な意義を持つ。

それらの文献は、聖書の基本的主題についての、従来の考え方を、<根本的に変革する事>を、我々に要求している。

シュメール文明は、紀元前3000年紀において、既に二次式や幾何学を研究したり、高度な
建築技術・冶金術・法律体系を擁する、驚くべき文明であった。

そして、その文明を受け継ぎ、発展させたのが、
ギリシャ文明とヘブライ文化なのであった。

本書では、この様なシュメール・ギリシャ両文明の神話資料から、聖書の考察・類推を行い、基本的主題の解明に努めた。

その結果得られた基本的主題とは、「イスラエル=神と戦う者」という主題であった・・・・・・・

ヤコブが、神と戦って、「
イスラエル」に改名した事は、いったい何を意味するのか?

それを解明する鍵は、シュメール・ギリシャ神話に存在したのである。この鍵によってのみ、聖書の扉を開く事が出来るのである。

我々は、遂に、聖書の真の構造・主題を、実証的に解明する時期に到達したのである。

本書では、<律法の意義>の再構築も試みている。 


 目次 http://judaist.blog.so-net.ne.jp/2011-01-04-2



創世記を、もう一度解説しておきます [聖書研究]

創世記の前半部分の主要なエピソードは、ユダヤ人聖書編纂者シュメールのエンキ神神話を換骨奪胎して創作したものです。

ユダヤ人聖書編纂者は、古代オリエント社会で広く信仰されていたエンキ神(鍛冶神)の業績(行為)を、ユダヤ風にアレンジしてヤハウェ神に帰着させたのです。

又、ヤコブ神と組打ちをするエピソードは、鍛冶神(エンキ神)信仰クライマックスであろうと考えられます。

さらに、「ソロモンの雅歌」も、鍛冶神(エンキ神)信仰のうちの豊穣儀礼聖婚歌)に由来するものと考えられます。

これは述べて置かなくてはなりませんが、だからと言って、創世記鍛冶神(エンキ神)信仰の意義を全面的に踏襲(トウシュウ)したのではありません

創世記は、鍛冶神(エンキ神)信仰の意義のうち、<知恵の尊重>をヤコブに代表させて残し、豊穣多産儀礼>をカイン(西セム語で鍛冶師の 意)に代表させて廃棄しようと目論んだのです。

*だから、やはり、創世記は、古代オリエント社会で広く信仰されていたエンキ神信仰(多神教信仰を否定しようとしています。

ユダヤ教の律法の有効性 [聖書研究]

ユダヤ教の律法とは、タルムードのハラハー(法律・道)のことである。
このユダヤ教の律法の起源は、BC3000年頃のシュメール文明の法典に遡り得ることは、ほぼ間違いない。
だから、ユダヤ教の律法は、約5000年間の研鑽(けんさん)を積んで来たことになる。
このような途方もなく永い期間を生き延び、時代に応じて変化発展してきたユダヤ教の律法が、あらゆる現実生活上の智恵を含蓄していることは、当然であろう。
そこには、ユダヤ賢者の最高の智恵が詰まっている。
それは、人類の宝である。
キリスト教・仏教・イスラム教は、このような伝統を持たない。

「イスラエルישראל=神と戦う者」 [聖書研究]

イスラエルישראל神と戦う者

   この言葉の深い意義は、どれ程、強調しても足りない。

   この言葉にこそ、旧約聖書の全ての意義が収斂される。

この言葉は、< 神 対 人間 の戦い> を意味する。

   そして、<神>とは、エンキ神であり、ゼウス神であり、ヤハウェ神であり、
   世界そのものである。

    また、<人間>とは、ユダヤ人であり、アメリカであり、読者自身である。

   それ故、この戦いは、普遍的な戦いであり、だからこそ「旧約聖書」は、
   普遍性を持つのである。

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